« 骨髄移植の事 | トップページ | ブログ »

再発。再寛解導入。。2006年11月~

その日は身体も調子が良く、採血の結果も良好で、マルクも大丈夫と信じていた。。先生にも「大丈夫ですよ」と言われ安心して帰ってきた。。それなのに。。夜主治医から電話。。「骨髄中に8%芽球がみつかりました。再入院して化学療法が必要です」「。。。」私は言葉を失い目の前が真っ暗になりその場にくずれおちた。。緊急入院ではないけれど、たぶん猶予は一週間か10日。。次は移植になるだろうこともわかっていた私は不安で怖くて涙がとまらなかった。。その場にいたパパも信じられないといった顔で、長女も長男も泣いた。。兄と両親がかけつけてくれた。。それでも心は真っ暗でどうしようもなくあとからあとから涙があふれてくる。。。でも、みんなの日常をすごしていかなくてはならない。。このとき、私より先に再発したTちゃんに思わず電話した。「おちつきや。。前に進むしかないんやで」とさとされ自分も治療中なのにはげましてくれ、その後おいしいみかんとお手紙が届いた。。まだ家族とすごせる時間を大切に。。と書いてあった。。翌日、親友のK。。それからMちゃんがわざわざきてくれた。。この時のことはずっと忘れない。。近所の友達もかけつけてくれた。。泣きはらした顔の私に力を与えてくれた。。はげましてくれたMちゃん一緒に泣いてくれたIちゃん心配してくれたMさんIさんSちゃんママMちゃんママみんなみんなありがとう。。入院しなければならない私にみんなが子供たちの誕生日パーテイをひらいてくれた。。二人の子供は11月と12月が誕生日。。また、いてやれない私へのプレゼントだった。。長男の卒園式、入学式のころの予測もつかなかったので今できる準備を。。とランドセルとスーツも買いにいった。。スーツ姿この目でみれたらいいなあと思いつつ。。心は暗闇ながら園バスの送り迎えやサッカーのお迎えなど今自分にできる事はこなした。。幼稚園にいくと、先生方ママ友達が笑顔ではげましてくれ、ちょっとだけ元気がでた。。そしてついに入院の電話がかかってきた。。まだ体調も良く、髪の毛もやっとのびてきたところだったのでかなりブルーな気持ちで入院した。。この時、入院中お世話になる医員のK先生に出会った。「根拠はないけど、なんとなくうまくいく気がします」会ってすぐそう言って下さった。この言葉は私に大きな希望を与えてくれた。。この先生なら任せておけば大丈夫!!そう思える先生だった。先生に出会わなければ、精神的な部分がずいぶんちがったように思う。

移植までは二回の化学療法。。メニューはキロサイト。ノバントロン。フルダラ。まず一回目の治療でお尻の粘膜がやられて白血球が100以下の時に苦しんだ。。今まで経験したことのない激痛。。先生方も対策を考えてはくださるのだけれどこの種の痛みには効く薬がないとのこと。。何日も苦しんだすえ、最終的には麻酔科から処方された麻酔のゼリーで緩和していくことに。。そうこうしているうちに白血球がたちあがってくれて傷はどんどん治っていった。白血球ってすごい!!回復期が年末年始と重なって家に帰れる事になった。なにもできないけれど、やっぱり家はいい^^年があけて二回目の闘いがはじまった。。粘膜障害がひどかったので、今回はフルダラ。キロサイト。治療後半あたりから吐き気でつらかったけれど大きな問題はなく順調に終了できた。この治療の時、一度だけ子供たちを病室にこさせてもらうことができた。。二人で仲良くベットにあがってきてくっついてはなれなかった。。さみしい思いをさせてるんやね。。ごめんね。。そう思った。。子供たちは、ベットまわりのカーテンを使い影絵をしたりして楽しませてくれた。この子達のためにも絶対元気にならないと!!そう思った。。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/201132/5149059

この記事へのトラックバック一覧です: 再発。再寛解導入。。2006年11月~:

コメント

コメントを書く