うれしいお知らせ♪

はじめに。。セカンドバースデイの記事に、たくさんのメッセージをありがとうございました。同じ経験をして1年を迎える事のむつかしさを知ってるみなさんからのメッセージは本当にうれしいです。これからも、みんな元気でいましょうね^^。そして、1年たった事を覚えててくれた友人たち。。本当にありがとう。みんながいたから帰ってこれました。

そして。。昨日の夕方、先生から電話。そうマルクの結果です。結果は、じゃーーーん!!腫瘍細胞はありませんでしたーーー!!私は8;21転座があるので遺伝子レベルでの検査がありますが、そこでも今回は陰性だったそうです。やったーーー!!移植後も測定感度以下ながら、残っていましたが、今回は検出されなかったようです。。ただ、電話なので、大丈夫だったときいただけで舞い上がってしまって、あとになって、ん??こう言ったはったよな。。たしか。。なのですが、とにかくなかったのだからうれしくて、家族や友人に電話やメールしましたよ。。兄に電話したら泣けてきて。。でも、今回はうれしい涙♪感謝の涙♪ 悲しい涙をいっぱい流したけど、今回はちがいます。。まだまだ先は長いけど大きく一歩前進できました^^ 友達からのメールで、『てんてんちゃん春が来たな♪』ってまた泣けました。

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再発。再寛解導入。。2006年11月~

その日は身体も調子が良く、採血の結果も良好で、マルクも大丈夫と信じていた。。先生にも「大丈夫ですよ」と言われ安心して帰ってきた。。それなのに。。夜主治医から電話。。「骨髄中に8%芽球がみつかりました。再入院して化学療法が必要です」「。。。」私は言葉を失い目の前が真っ暗になりその場にくずれおちた。。緊急入院ではないけれど、たぶん猶予は一週間か10日。。次は移植になるだろうこともわかっていた私は不安で怖くて涙がとまらなかった。。その場にいたパパも信じられないといった顔で、長女も長男も泣いた。。兄と両親がかけつけてくれた。。それでも心は真っ暗でどうしようもなくあとからあとから涙があふれてくる。。。でも、みんなの日常をすごしていかなくてはならない。。このとき、私より先に再発したTちゃんに思わず電話した。「おちつきや。。前に進むしかないんやで」とさとされ自分も治療中なのにはげましてくれ、その後おいしいみかんとお手紙が届いた。。まだ家族とすごせる時間を大切に。。と書いてあった。。翌日、親友のK。。それからMちゃんがわざわざきてくれた。。この時のことはずっと忘れない。。近所の友達もかけつけてくれた。。泣きはらした顔の私に力を与えてくれた。。はげましてくれたMちゃん一緒に泣いてくれたIちゃん心配してくれたMさんIさんSちゃんママMちゃんママみんなみんなありがとう。。入院しなければならない私にみんなが子供たちの誕生日パーテイをひらいてくれた。。二人の子供は11月と12月が誕生日。。また、いてやれない私へのプレゼントだった。。長男の卒園式、入学式のころの予測もつかなかったので今できる準備を。。とランドセルとスーツも買いにいった。。スーツ姿この目でみれたらいいなあと思いつつ。。心は暗闇ながら園バスの送り迎えやサッカーのお迎えなど今自分にできる事はこなした。。幼稚園にいくと、先生方ママ友達が笑顔ではげましてくれ、ちょっとだけ元気がでた。。そしてついに入院の電話がかかってきた。。まだ体調も良く、髪の毛もやっとのびてきたところだったのでかなりブルーな気持ちで入院した。。この時、入院中お世話になる医員のK先生に出会った。「根拠はないけど、なんとなくうまくいく気がします」会ってすぐそう言って下さった。この言葉は私に大きな希望を与えてくれた。。この先生なら任せておけば大丈夫!!そう思える先生だった。先生に出会わなければ、精神的な部分がずいぶんちがったように思う。

移植までは二回の化学療法。。メニューはキロサイト。ノバントロン。フルダラ。まず一回目の治療でお尻の粘膜がやられて白血球が100以下の時に苦しんだ。。今まで経験したことのない激痛。。先生方も対策を考えてはくださるのだけれどこの種の痛みには効く薬がないとのこと。。何日も苦しんだすえ、最終的には麻酔科から処方された麻酔のゼリーで緩和していくことに。。そうこうしているうちに白血球がたちあがってくれて傷はどんどん治っていった。白血球ってすごい!!回復期が年末年始と重なって家に帰れる事になった。なにもできないけれど、やっぱり家はいい^^年があけて二回目の闘いがはじまった。。粘膜障害がひどかったので、今回はフルダラ。キロサイト。治療後半あたりから吐き気でつらかったけれど大きな問題はなく順調に終了できた。この治療の時、一度だけ子供たちを病室にこさせてもらうことができた。。二人で仲良くベットにあがってきてくっついてはなれなかった。。さみしい思いをさせてるんやね。。ごめんね。。そう思った。。子供たちは、ベットまわりのカーテンを使い影絵をしたりして楽しませてくれた。この子達のためにも絶対元気にならないと!!そう思った。。

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骨髄移植の事

2006年3月2日再入院。翌週から移植の前処置がはじまる。。TBIシュミレーションをうけ、翌日にはCVカテーテルを挿入した。。と、これで治療開始の準備が整った。。で、さっそく夜には外泊へ^^;この週末は長男の幼稚園最後の発表会。。なんとしても見に行きたい。着替えを手伝ってやりたい。主治医の先生にもお願いしていたので、予定表にも外泊と記入されていた。本当は移植前に幼稚園のようなところにいくのは菌をもらう可能性が高いのでよくないと思うのだけれど卒園式にも出席できない私はこれだけはなんとしても行きたかった!!強力マスク装着で我が子の発表会へ^^;でも、このとき行けてよかったなあ。。と今でも思う。。そして、病院へもどる。。7日から前処置開始。まずフルダラ5日間投与。この時はまだ余裕^^;次にアルケラン2日間。ここから吐き気で食事がとれなくなった。高カロリー点滴のお世話になることに。。今まで一番最初の治療以外は高カロリー点滴のお世話にならないようしっかり食べてきたが、今回ばかりはどうしようもなかった。。でも、クリーンルームではコーンスープを飲んだりしてました。どこまでも食い意地のはってるわたしです。。TBIを経て15日兄の骨髄液を移植。。朝、兄にありがとうとメールした。必ず助ける。と返信がきた。。涙がでた。。。だるさや吐き気、下痢にはなったが先生にいわすと軽いほう、らしかった。そして26日、白血球が300に!!兄の細胞が造血をはじめてくれた!!思いもかけず、はやいたちあがりでとってもうれしかった。。でも、このころ高熱がでた。何の熱なのかわからなかったけれど、生着の時、熱がでるのはよくあることらしい。兄と私は拒絶方向に3座。GVHDの方向に1座ちがうミスマッチ移植だったけれど、日本でも海外でもバンクにあう人がいない私には最良の選択だったようだ。ちがうというものの、こまかくみると、A..。B。Cそれぞれの座がまったくちがうわけではなく、ひとつづつ同じ物があったのもよかったのだと思う。血液型も同じだったので、移植のとき、赤血球の輸血は一度もしなくてすんだ!!クリーンルームで過ごした3週間。。最後のほうは本当につらかった。。常時送られてくる風の音がすごいストレス><で。。。それでも私は順調に進む事ができて本当に感謝感謝です。。GVHDとしては、グレード1の皮疹がでました。HHVV6で点滴をしたりしたけれど今のところ大きなトラブルなく過ごしています。

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退院してから現在2006年5月~2007年1月の事

移植後DAY49で退院。。うれしいような不安なような、全く自信がないまま帰宅。。退院してまもなく、血小板の減少があり、マルク><だったのですが、移植後で不安定なんでしょう、との事でした。でも、マルクといわれた時はへこみましたよ。。今は安定してますよ。

最初は少したって用事するだけで息がはーはー><階段をのぼれば心臓ドキドキ。。

なんとも情けない状態でしたが、少しずつ少しずつ体力はもどってきています。

あつーい夏は日差しも強くなかなか外にもでられませんでした。この頃、母がとても助けてくれました。この歳になって母のお世話になるなんて思ってもみませんでしたが。。母なしでは日々の生活もおくれなかったと思います。本当に感謝です。父も母の送り迎えも大変だったろうし、みんなの協力がなければ私の生活はなりたちませんでした。二人とも仕事をしながらなので大変だったと思います。本当にありがとう。。

また、夏に乳腺外科からうけた骨シンチの検査で淡い影を指摘され、その後エコーで

胸に小さなしこりもあるとのことで、PET検査MRIとうけましたが、異常なしとの診断で

ほっとしています。まだ体力のなさを感じていますがぼちぼちやってます。。

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